翌日から撤去工事がスタートしましたが、今度は展示会を主催されるkomorebiさまからDMを作るので「ギャラリーの名称を教えて下さい」という連絡がはいりました。
結局、名称は「内町ギャラリーTamamo」に決めましたが、そのワケをご説明します。
日本最古の和歌集の「万葉集」に収められている柿本人麻呂の讃岐の国を詠んだ次の長歌はよくご存知と思います。
玉藻よし 讃岐の国は 国柄か 見れども飽かぬ 神柄か
ここだ貴き 天地 月日と共に 満りゆかむ
ここで、柿本人麻呂は「玉藻よし」を讃岐の枕詞として書き残してくれた名付け親です。
中世の末期・1590年に生駒親正が高松城を築城するまでは、香東川の河口のこの湊町は、「玉藻よし」を地名に頂いて、「讃岐の国 香東郡 箆原庄 字玉藻浦」 と呼ばれていました。
そこに築城されたお城も、住民から通称「玉藻城」と呼ばれて親しまれてきました。
明治になっても高松中学の校歌で(現在は高松高校の応援歌として)「朝日輝く屋島山 朝雲なびく玉藻浦」 とうたわれています。
玉藻城の外堀(現在の片原町と兵庫町)と内堀の間の大部分は内町と呼ばれました。
丸亀街道・金毘羅街道・仏生山街道・長尾街道・志度街道が現在のドーム広場で集まり、常盤橋で外濠を渡って東へ進み大手門の旭門へと「左折する角」にギャラリーはあります。
旧外濠の北側に少しだけ、今も内町の町名が残り、前の道を「玉藻三越通り」と言います。
そこで、所在が「内町」にあって、柿本人麻呂の名付けた「玉藻」を頂いたギャラリーとして、名称を『内町ギャラリーTamamo』にさせて頂きました。
2 Comments
早々の年賀状、有難う御座いました。
この「店主の机」を拝見させて頂きました。
流石、企画マンです。
店主は別所治親さんと奥様千尋さんの
共同経営とか、「経営方針」等で
食い違いが起こった場合はかなり苦労
する事でしょうね。
私は「次第に人生がおもしろくなる人」
になりたいと思い、地味に暮らしています。
私のコメントに対するコメントは送信されないのですかねぇ?